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シュタージ解散後、米国とドイツ間でエージェントの名前が記された「シュタージ・ファイル」の獲得を巡る暗闘が始まった。シュタージ・ファイルとは、一種のカードであり、情報源の項目にはエージェントの登録番号と偽名、本文の項目には提供情報のレジュメと日時が記載されていた。
1990年1月15日、東ドイツの人権活動家達がベルリンの旧シュタージ庁舎を占拠した。彼らは、大量のファイルを入手したが、対外諜報機関関係の書類だけは一つも見つからなかった。対外諜報関係の資料は、マルクス・ヴォルフがソ連に持ち出したとも、KGB駐東ドイツ支局が焼却したとも言われている。当時、CIAは、「薔薇の木」作戦を実行し、大量のマイクロフィルムを奪取することができた。
ドイツ政府はこの文書の返還を求めたが、米国は拒否し続けた。ある時CIAは、BfV駐ワシントン代表にエージェントのリストを閲覧させたが、この際に持ち帰りやコピーができず、筆写しか許されなかった。
ドイツもアメリカもシュタージの記録を解読できなかったことで、暗闘は先鋭化した。この問題は、文書の一部が解読された1999年1月になって初めて解決した。解読された文書は、1969年から1987年までの記録であり、16万件を超える。現在、シュタージの文書解読と保管には、元反体制派の牧師ヨアヒム・ガウクを長とする40人の職員が従事し「ガウク機関」と通称される(2000年から長がマリアンネ・ビルトラーに交代し「ビルトラー機関」)。文書の総数は、9億件にも上るとされる。
2001年1月2日、インターネット上にエージェント10万人のリストが掲載された。リストには、氏名だけではなく、彼らの評価や毎月の報酬まで書かれていた。
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